御書は信心の教科書

私たちが御書と呼んでいるのは「日蓮大聖人御書」のことですが、ご存知のとおり、この書物は多数の書簡(お手紙)から構成されています。
その多くは、仏法に無知な在家信徒(現在の私たちのようなレベルの世俗の人間)に宛てられたお手紙です。

交通機関も馬くらいしかなく、電話もメールも無い時代、日蓮大聖人様は、その人に応じ時に応じて、なるたけ平易な言葉で語りかけ、その人が信心に迷いなく、幸せになれるように御指導なさった内容になっています。

その中には、「十四誹謗御書」とも呼ばれる『松野殿御返事』のように、私たちの信心に欠くべからざる重要御書とされるものがいくつもあります。

信心に御書をどう位置づけるべきか

当門流に於ては御抄を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞くべき事(日興遺誡置文)」

上掲は御書と言っても第二祖日興上人の有名な遺誡置文にある御文です。

御書をどう位置づけるかという視点に限って言えば、前段の「御抄を心肝に染め」すなわち「御書などの仏様の御文や書物を心と腹に染みわたらせなさい」という御指南である、ということになります。

御書を読むことによって、宗旨の開祖である大聖人様の生のお言葉が、私たちのいのちに染みわたり、正しい信心を見極め迷いや誤りを取り去ることもできるのです。

御書を「文証」ととらえ迷妄を払うべし

文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず(法華真言勝劣事)」

経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり(聖愚問答抄)」

玄の三に云はく『文証無き者は悉く是邪偽にして彼の外道に同じ』文(真言見聞)」

大聖人様は、釈尊の経典や天台大師のご著作から証文を引き、「文証が無ければ、それはその人の勝手な考えであるから、これを採用してはならない」とたびたびご忠言くださっています。

では、私たちが日ごろ耳にする信心についてのいろいろな教えや解釈は、本当に大聖人様のお考えと一致しているのかどうか、常に確かめる必要があるということになります。
そのよりどころは、大聖人様の直接のお言葉である御書に訪ねるほかにないということになるのです。

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